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紗幕越しの川柳
河野潤々
2025年9月22日
#Scene 29

は たんは 綻(ターン) じゃなくてお仕舞いの 舞
小野寺里穂
長さの異なる文字あけの多用には、何が込められているのだろう。
掲句を、文字あけのない表記と比較してみる。
「はたんは綻(ターン)じゃなくてお仕舞いの舞」
「 は たんは 綻(ターン) じゃなくてお仕舞いの 舞」
別れを切り出し、恋人が出て行った。
予期せぬ事態を飲み込むことのできなかった私は
閉められた玄関ドアを呆然と見つめていた。
どのくらいの時間が経過したのだろう
私は玄関ドアのサムターン錠をくるりと回し踵を返した。
そんな光景を思い浮かべた。
で、文字あけについて。
冒頭の三字あけは、事態を飲み込むまでの時間軸の長さを指し
続く三つの一字あけは、「破綻」を受け入れざるを得ない葛藤や
それでも施錠しなければならないやるせなさ
そして自ら行った施錠は
恋人との決別やその悲しみを受容すること、との認識を
転換させるに至ったターニングポイントなのだろう。
そして最後の二字あけに、熟慮する様子を盛り込んで
「舞」との結論を導き出したのではないだろうか。
希望に満ちた未来を舞うための一歩として。
文字あけの箇所には「心の機微」がいっぱい詰まっている。
ほかにも惹かれた作品を少々。
だってあの坂は静かに裂けていた
ねえメロディ、弾けたからだを三つ編みに
T字路の先が割れたらクロアチア
きみが想像できるプリーツじゃない
遠ざかる映画を生きる朝は明日も、
(小野寺里穂 句集『いきしにのまつきょうかいで』2023年11月)



