せんりゅう、ごちそうさま
笹田かなえ
2024年10月1日
せぴあⅢ
まっさらな鳥たちが来る わが干潟
近藤ゆかり
(1990.5 川柳展望61号会員作品)
福岡県にお住いの近藤ゆかりさんからいただいた句集「せぴあ」3号を読ませていただきました。発行は2013年5月19日です.
近藤ゆかりさんは「川柳展望」の大先輩で、私の憧れの川柳作家のおひとりでもあります。
現在、近藤さんは、福岡県で「川柳グループせぴあ」の世話人として、長く活動されております。
グループ名の「せぴあ」には、「人間諷詠を標榜する川柳、人間には 男と女があり、男を黒、女を赤とするなら、混ぜ合わせるとせぴあ色になる」とおっしゃった那津晋介氏からのお言葉からだそうです。
おひとり30句、14名の御作品はどれも温かみに満ちたものばかりでした。
ひすい色のうりを一口葉月なる
安倍文乃
「ひすい色」が美しい。ほどよく冷えたうりの歯ざわりとさっぱりとした味わいが、読む側の舌にも感じられる。「葉月なる」と言い切って、暑さの中にも一服の涼となった。
鈍くさい魚わたしに食べられる
池内純子
鈍くさいお魚の顔を想像するとふっと笑いがこみ上げる。何方かの釣果か?鯛や鮃などの高級魚ではなさそう。ふっくら油の乗った魚の身をほぐしながら「美味しい」と箸を進める笑顔が見える。
老女ありけりしばし平家の海に佇ち
板谷京平
まるで平家物語の実写版のような光景を思い浮かべた。場所は壇ノ浦であろうか。老女は二位の尼か建礼門院か。「ありけり」の文語調がいっそう謎を深めている。
絵の具溶く杉の木立にとどくまで
鬼塚遠子
ゴッホの糸杉を描いた絵を想像させられた。糸杉の花言葉は「死・哀悼・絶望死」など不吉ではあるが、「生命や豊穣」のシンボルでもあるそうだ。人生はまだまだ。絵の具が思い通りの色になるまで、存分にパレットでかき混ぜて楽しむことだ。
生きていたいブロッコリーの花が咲く
近藤ゆかり
買い置きのブロッコリーに花を咲かせたこと、あるある。でもこの作品のように、そこに「生きていたい」の意志を見出したことはない。にんげんもブロッコリーも生き抜きたいのだ。声高でなくても、確かに「生きる」を標榜 した川柳がここにある。
悲しみはまだ目の玉の裏にあり
坂田久子
癒えたと思っていた悲しみだけど、何かの拍子に涙がこぼれることがある。そんな悲しみの居場所を「目の玉の裏」としたことに胸を打たれた。今を乗り越えようとしているのがひしひしと伝わってくる。
善悪は佛の後ろ藤の寺
坂本浩子
宗教に疎い私だが「善悪は佛の後ろ」に惹かれた。善悪や価値観は、ひと言では言い表せない場合がある。仏の教えを超えたところに真理があるということか。「鬼滅の刃」での藤の花は鬼が嫌う気高い花だ。
餅いくつ食べたと訊いてくれる人
早良 葉
「訊いてくれる人」の「訊いてくれる」に嬉しさとかすかな含羞が滲んで見える。何より「餅」がいい。特別感のある、平和で幸せの象徴みたいな食べ物だ。何気ない会話のようでもあるが、向田邦子のドラマのワンシーンのような時間が流れている。
話すことなんにもないよぽろぽろ涙
谷川定子
「ぽろぽろ涙」の正直さに胸をいっぱいになった。悲しみの極地、あるいはどうあがいても抜け出せない苦しみ…涙を流すことは、時にはとても大事なことだと教えてくれているようだ。
誰でしょう 蛍が肩を離れない
時枝京子
何という幸せな一瞬だろう。ひょいと肩に止まった蛍の光の点滅は、遠い昔の誰かさんの囁きにも似て、くすぐったい。甘やかで詩情あふれる作品世界にうっとりした。
もう一つ申さば箸の握り方
那津晋介
なんかすごく手厳しい。箸の使い方ではなく握り方について言いたかったのかな。「もう一つ申さば」の古めかしい言葉遣いが味わい深くもあり、またお叱りを受けているような感じに背筋が伸びた。
寒風の葬列に居る生きている
廣瀬飯岳
「寒風の葬列」という措辞に、身体が引き締まった。おそらく盟友とでもいう方を亡くされたのではないか。寒風は体にも心にも吹きすさぶ。亡くなられた方のもう感じることはない寒さに、屹立する自分がいるだけだ。
冬帽子母の薄毛を包まねば
廣瀬秀子
「母の薄毛」が切ない。冬帽子は毛糸の手編みでふんわり柔らかで、お母様を寒さから守ってくれるに違いない。「包まねば」にお母様の健康を見守り、その幸せを祈るような気持があふれている。
老父が手を振るたそがれのバスに乗る
吉田伝恵
「たそがれのバス」の設定が効いている。老いた父の手を振る姿がだんだん遠ざかるのを眺めながら、来し方を振り返り、これからを思う。作中主体も人生のたそがれの時間帯にいるのかもしれない。
人生の先輩たちの来し方や現在地を紡いだ言葉のひとつ一つが、素直に響いてきました。
ちょっと塩の効いたシンプルな塩むすびのような味わいが、じんわりと口中に広がりました。