会員作品を読む
笹田かなえ
2026年2月
2026年2月1日
くちびるに部活帰りの深津絵里
河野潤々
「くちびる」と「深津絵里」の取り合わせは艶っぽくて何となくわかる。でもなんで「部活帰り」?パスコのCMや「カムカムエヴリバディ」のるいの深津絵里の、ふんわりしながらもミステリアスな佇まいが好きだった。掲句には初恋の思い出っぽいニュアンスもある。初恋の相手が深津絵里似だったのかな…と、ここまで書いて気が付いた。「ふかつえり」→「ぶかつがえり」の地口!「くちび る」とひらがな書きにしたところも、透明感のある深津絵里のイメージに相応しい。「深津絵里」愛にあふれている(笑)
半生の干し柿でして時雨ます
斉尾くにこ
干し柿は渋柿で作られる。もともと、渋柿の方が糖度は高いのだが、乾燥させたり渋抜きをすると甘さを感じらえるようになると言う。掲句の「半生の干し柿」は、まだ完全に干し柿になっていないことを指しているのか。干し柿になる途中に雨に当たると、カビが生えたりする。「時雨」は冬の季語。私は掲句を読んで、中里恒 子の「時雨の記」を思い出した。乾き切らない干し柿のやや渋みのある甘さは、時雨の季節にしっくりとくる。
苦しみの連鎖を止めるピクトさん
鈴木雀
「非常口の緑の人と森へゆく(なかはられいこ)」。非常口を表す緑のマークを「ピクトさん」と呼ぶと知ったのは、なかはられいこさんのこの句に触れた時だった。あの頃、まだ緑のマークに「ピクトさん」と言う名前があると言うのは、余り知られていなかったように思う。大きい地震を何度か経験した身として、ホテルに宿泊する際は、必ず非常口を確かめる。そしていつからか「ピクトさん、こんにちは」と心の中で言うようにしている。「苦しみの連鎖」という重い言葉の後のピクトさん。ピクトさんの逃げる姿は、何はともあれ危ない時は逃げろと示唆している。
スカジャンの背中に龍の苦笑い
須藤しんのすけ
このご時世、スカジャンと言えばあの御仁が思い浮かぶ。レジ袋が無料でなくなったのはちょっと残念だったし、昨年の米騒動の時のグイグイした感じに、大丈夫かなといういささか不安を覚えたりしたものだ。ただ、彼の立ち位置にはいつもスポットライトが当たっている。現在の役職が相応しいかどうかはまだよく解らない。でも、今まで一番ソツなく勤めているように思える。これはあくまでも個人の感想なので、押し付けるわけではない。世界情勢が不安定な現状に於いて、いつまで龍は苦笑いのままでいられるのだろう。
今からチクっとします献歌します
旅男
「献花」「献杯」「献歌」等々。それぞれにお亡くなりになった方を偲び、敬意を表して花や杯、あるいは好きだった歌を捧げることを言う。「献花」や「献杯」は何度か経験があるが、「献歌」はまだ経験したことがない。でも、「今からチクっとします」はとてもよく解る。「チクっとします」の皮膚感覚はまさに心の痛みだ。「今から」の導入は、予防接種をする時の気持ちにも重なる。そんな「チクっとします」から下五の「献歌します」にやられたと思った。
ばらまかれた青は摩周湖が回収
西山奈津実
摩周湖と言えば、年代的にどうしても布施明の「霧の摩周湖」が浮かぶ。悲恋に憧れていたころの歌だった。でも掲句はそんな恋のイメージは微塵もなくて、ただ摩周湖の「青」をリスペクトしている。摩周湖は日本で1番、世界ではバイカル湖についで2番目に透明度の高い湖だ。その透明度の生み出す青は、摩周ブルーと呼ばれているそうだ。「ばらまかれた青」はひりひりと傷ついた心の悲鳴のようにも見える。摩周湖は傷ついた青(心)を回収し再生させてくれる、神秘の湖のようだとこの句を読んで感じた。いつか摩周湖に会いに行きたいな。
夜道ならこの詩がよく光りますよ
温水ふみ
詩には詳しくないので、果たしてどんな詩が夜道で光るのか迷った。真っ先に浮かんだのが萩原朔太郎の詩集の「月に吠える」で、その中の「悲しい月夜」。第二連の「いつも、なぜおれはこれなんだ、犬よ、青白いふしあはせの犬よ。」には凝視できないくらいに心を打たれる。青森の詩人高木恭三の詩集「まるめろ」の「冬の月」の第二連「ああ みんな吹雪(ふぎ)と同(おんな)しせぇ 過ぎでしまればまんどろだお月様だネ」にも激しく心をゆさぶられた。“夜道に光る詩”の発想が秀逸。夜道に光る詩は決して煌煌としていないだろう。それでも行くしかない夜道に光る詩は、道しるべとして心の中に明るく存在しているのだ。
最高のホワイトチョコの泣き落とし
飛和
お正月が終わるとバレンタインチョコの売り場が開設される。普段ではお目にかかれない世界的に有名なチョコレートや、材料に趣向を凝らしたチョコレートは見ているだけで心華やぐ。そんな中で。ホワイトチョコレートはちょっと特異な存在ではないだろうか。バレンタインにホワイトチョコレートを贈るのは「純白な関係を望んでいる」という意味があるそうだ。ピュアな気持ちを伝える意味でのホワイトチョコレートなのかもしれない。泣き落としとか考えないで、思いっきり恋の季節を楽しんだ方がいいと思うよ。
如才ない人の粘膜見てしまう
藤田めぐみ
私のささやかな川柳歴を振り返って、「粘膜」という言葉を使った川柳を読んだのは初めてだ。改めて粘膜を調べてみると身近な組織であることを知る。口腔内、鼻孔、食道、生殖器などの部位に広がっているのだそうだ。掲句は「如才ない人」のどの部位の粘膜を見たのだろう。大きく口を開けて笑う人の口中か、それとも自信満々に広がる鼻の穴?「如才ない」の言葉にはあまりいいイメージがない。だから掲句全体にうっすらと嫌悪感のようなものが漂う。「見てしまう」にも見なければよかったものへの後悔も感じられる。「粘膜」という句材からのグレーゾーンの書き方が絶妙。
行きなさい背中に羽根があるうちに
峯島妙
遠い昔の、知人女性の話をひとつ。親に交際を反対されて家に軟禁状態になったのだが、どうしても彼に逢いたくて窓から靴も履かずに家を出て、一時間かけて逢いに行ったそうだ。その彼とは間もなく別れたのだが、彼女は「あの時、足裏が痛くて熱かったのよ」と誇らしく語っていたのを思い出した。今できることを今するのはとても大事なことだ。しない後悔よりする後悔する後悔の方がいいと思っている。年々どこかへでかけるのがしんどくなってきた。そんな状況にハッパをかけるような掲句に、背中に手をまわして、羽根があるかどうか確かめている。
丼に浮かべたままの裁量権
伊藤良彦
パッと浮かんだのがおかめうどん。「丼に浮かべたまま」とあるから、麺物でしかも汁気が多そう。さらに「裁量権」という選ぶことのできる具の多さから連想した。もちろん、ラーメンにも具の多いものはある。ただラーメンは浮かべると言うより乗せる感じがある。おかめうどんの具のどれから食べようかと、おかめさんの顔を見ながらにんまりしている姿を想像した。「裁量権」という堅苦しい言葉のチョイスが深い。職場に於いて自分の判断でものごとを決める権利は責任のあること。悩みながらもステップアップ!
日焼けして褪せてそこからまたピンク
菊池京
毎日見る鏡の中の自分は、代り映えしないと思っていても年月とともに変化しているものだ。日焼けしようが傷つこうが恐れず、楽しさを謳歌していたあの頃。日焼けも褪せて傷も消えてちょっと控え目な面差しになると、いよいよ本領発揮の季節の始まり。「そこからピンク」の持ち直し感がいいな。60歳を還暦呼ぶのは、生まれた時の干支に同じになるから。赤ちゃんのようなピンクの頬で、これからを楽しもう。



