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会員作品を読む

​笹田かなえ

2025年9月

2025年9月1日


ためらいも綿あめになる夏の夜

飛和


夏の宵宮と言えば、金魚すくいにヨーヨー釣り、たこ焼き焼きそばお好み焼きと楽しくて美味しいものばかり。一人より誰かと一緒が楽しさも美味しさも倍増するというもの。そして、綿あめのふんわり丸いかたちと香ばしい甘い匂いは格別。まさに恋の始まりのようだ。ぬけぬけと「ためらいも綿あめになる」とは言ってくれるじゃないの(笑)。いい思い出いっぱいの夏の恋になりますように。



モヒートはまだ正解を言ってない

藤田めぐみ


八戸に「プリンス」というカクテルで有名な洋酒喫茶がある。そこの一番人気が「モヒート」。これでもかってくらいにミントをぎゅうぎゅうに入れて提供している。カウンターのお客さんの殆どがモヒートで、一様に口数が少ない。モヒートを飲んでいるだけで満足って顔をしている。ちなみにモヒートのカクテル言葉は「心の乾きを癒して」。「モヒート」の語感が秘密めいていて、お洒落で徒っぽいお酒の時間を想像したのだった。



織姫をなぞってみれば樹木希林

峯島妙


樹木希林という女優(あ、今は俳優というのか)の存在感の凄さは、今更言うまでもない。どんな役でも樹木希林でありながらその役になりきって、と言うか樹木希林に憑依してそこにその人がいるように演じていた。役を自分に引き寄せるとはこういうことかと、その演技を見たものだ。「織姫」と「樹木希林」の取り合わせも意外ではない。樹木希林の演じた人生は、織姫の織り成す物語そのものだったのだから。



乗り換えのドラマを今日も繰り返す

伊藤良彦


「今日も」だから、毎日が乗り換えしての通勤なのだろう。満員電車を乗り換えての通勤、ストレスも相当なものだろうと想像する。昔、ぎゅうぎゅう詰めの電車の真ん中で、突然四つん這いになった人を見たことがある。昨今は物騒な事件も多い。そんなストレスフルな生活でありながらとりあえず「乗り換えのドラマ」としているところが、社会人として上手く気持ちを切り替えられているようで、まずは一安心。



シャーペンが折れた迷路の真ん中で

菊池京


シャーペンをシャープペンシルの略とすると、この場合は「迷路は」脳活などに用いられる、鉛筆でなぞっていく迷路なのだろう。グルグルと難しそうな迷路を、正確になぞってゴールまでたどり着くのは確かに頭の体操にはよさそう。掲句のシャーペンのように細い尖ったもので迷路を辿る時、うっかり力を入れすぎたりすると芯が折れたりするのはありそうなこと。挫折とまでは言わないにしても、人生にはそのように心が折れてしまうこともある。迷路の真ん中でのアクシデントをどう乗り越えるか、シャーペンの気持ちになって考えている。



あの人は牛乳瓶のふた開けるやつ

河野潤々


「牛乳瓶のふた開けるやつ」を知っている人は年代的に限られているのではないか。私はもちろん良く知っている。丸いプラスチックの輪っかの真ん中に先のとがった針金みたいなものがあって、牛乳瓶のふたにそれを刺して開けるのだ。あの人がそれだと言う掲句に、ふたに針を刺した時の罪悪感めいたものとふたを上手く開けられた達成感のようなものが過った。ただ一つの物事のために存在する唯一無二の存在としての「牛乳瓶のふた開けるやつ」。牛乳瓶自体もあまり見なくなったし、その道具も見なくなって久しい。思い入れがありながら消えゆくものに対するレクイエムのようなものを感じた。



鼻先を蒼い海月の通り過ぎ

斉尾くにこ


くらげのいる水族館でくらげの泳いでいる様子を見ている状景と読んだが、それだけではない、もっと惹きつけられるものがあった。それは「蒼い海月」の漢字表記だ。「蒼」の漢字は草木の生い茂るさまを表す言葉で、「鬱蒼」にその漢字がある。そして「海月」。「くらげ」という漢字も「海月」「水母」「水月」と三通りある。その中であえて「海月」としたことに意味がありそうだ。「海の月」と書いて「海月」とするだけで、深海の神秘を感じる。鼻先を掠める蒼い海月は、もしかしたら穏やかな死後の世界の使者かもしれないと思った。



人偏に衣をつけて愛し合う

鈴木雀


「人偏に衣」をつけたら「依」になる。「依」は、人が寄りかかる様子から頼るという意味がある。「愛し合う」かたちは本当にそれぞれだ。掲句では、頼ったり頼られたりしてお互いの年月を積み上げていく有り様のようにも見える。「依然」と言う字にも「依」があって「もとのまま」「そのまま」という意味がある。ありのままの自分で愛し合うのは、はっきり言ってなかなか難しい。でも「愛し合う形」の最終形態として、尊いと思っている。



救えない世界の明日を魔王に託す

須藤しんのすけ


現在の混沌とした世界情勢を思うと、神はいないのかと絶望的になる時がある。プーチン氏やネタニヤフ氏しかり、そしてトランプ氏…。世界情勢の混乱を招いている人物を数え上げればきりがない。彼らから世界を救うには、もはや魔王しかいないとこの作品は言っている。人外の存在である魔王に託したくなる気持ちも解らないでもないが、そんな魔王がいたら世界は滅びてしまいそうで、それもまた怖い。



痒い痒い治りかけのここ鎮魂

旅男


傷口のかさぶたが治りかけの時、熱っぽく痒くなるけれどグッと我慢して掻いてはいけない。無理にかさぶたをはがそうとすると、治りが余計に遅くなるからだ。今年は昭和100年目で終戦から80年だと言う。だからなのか、さまざまに太平洋戦争を検証するような内容のテレビ番組が多かったように思う。「痒い痒い」の繰り返しが皮肉っぽくて「鎮魂」の意味合いを改めて考えさせられた作品だった。



準備できたらすぐオハヨウを連れてくる

西山奈津実


えっ、なんの準備?オハヨウって誰?連れてくるってどこから?と「?」がいっぱいの掲句だが、なんか楽しい。オハヨウだから時間的には朝だろうから、準備は朝の犬の散歩の準備や朝食の用意などが浮かぶ。でも、それ以前に朝そのものの用意ができたらと読むこともできる。一日の始まりは朝が来ることで始まるが、夜勤の人や不眠症の人の朝はちょっと違う。人それぞれの事情の朝があって、そんな朝を気持ち良く迎えるための「オハヨウ」はとっておきの秘密兵器ではないだろうかと思った。



鎖骨は水と後悔の溜まる部位

温水ふみ


鎖骨と言う部位の在り方を的確に表している。鎖骨のある首の付け根のくぼみは一見頼りなげだが、着る服によってはとても優雅で雄弁だ。シャワーを浴びた後、うっかりすると雫が残っていたりすると、その窪みが急に存在感を増す。鎖骨の窪み、掲句では「水と後悔の溜まる」とあるけれど、抱き締めたり抱き締められたりした大切な思い出の溜まる部位でもある。


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