top of page

会員作品を読む

​笹田かなえ

2025年6月

2025年6月1日


背に忍ぶ老獪阿修羅ぱだんぱだん

旅男


掲句の「ぱだんぱだん」をエディット・ピアフのシャンソン、「パダム・パダム」として読んだ。ピアフの恋多

き人生に思いを馳せる。とある夜、弘前の酒場でそこのママさんが歌ったピアフのこの曲が蘇る。「パダム・パ

ダム」の責めるような迫るような歌声に、ちょっと泣いた。「老獪阿修羅」は厳しい謂いだけど、年を取ること

の一面ではある。淋しいけれどね。



はっしはっしと今は鯨になる途中

西山奈津実


「はっしはっし」の掛け声がいい。威勢のいい掛け声を出しながら、「鯨」になる途中だというスケールの大

きさに目を見張った。ふっと、「はっしはっし」は掛け声でいいのか疑問になり、ネットで調べたら宇和島の

方言で、牛への掛け声とあった。金太郎の童謡では「はいしどうどう」の掛け声で、ちょっと似ている。はっ

しはっしの掛け声で大きくなった鯨は空も飛べそうだ。



いちばんに届く手紙としてうたう

温水ふみ


何といっても「いちばんに届く」の「いちばん」のひらがな表記がいい。ピュアそのものので、光っている。「うたう」のひらがな表記もそうだ。心に心を届ける時は技巧はいらない。古代の日本では歌垣という男女が求愛する場としての風習があったと言う。歌垣で交わされた求愛の歌には、きっとこんな気持ちが込められていたのだろう。「うたう」のひらがな表記に余韻が描き出されているのも魅力的だった。



本物の紫陽花だけが知る合図

飛和


紫陽花の花言葉は色によって違う。青や紫の花言葉は「冷淡」「無情」「浮気」「知的」「神秘的」「辛抱強い愛」。

赤やピンクは「元気な女性」「強い愛情」。白の花言葉は「寛容」「一途な愛情」。また、紫陽花の色は土壌によって変化するのは周知のとおり。そこを踏まえての「本物の紫陽花」がとてもいい。梅雨の季節は紫陽花の季節。「紫陽花の合図」とA音で韻を踏んでいるところも、声にする時心地よい。



片想いあるいは無人島に放火

藤田めぐみ


八百屋お七は恋人に逢いたい一心で放火し、火あぶりの刑になったと伝えられている。その事件は舞台や小説にもなって、恋する女のエキセントリックな所業の譬えとして引き合いに出されたりする。掲句は「片想い」だがその激しさに一瞬怯んだ。夜の海の向こうに赤々と激しく燃える無人島は、思い通りにいかない恋の比喩として鮮やかだ。ちょっと無いスタイルの片想いの川柳として興味深く読んだ。



上書きのその上書きに縛られる

間瀬田紋章


生きるってそういう事なんだとしみじみ。経験もそうだし人間関係もそう。昨日に上書きして今日になることの繰り返しだ。上書きされた事も加味しての行動は、窮屈この上ない。いっそリセットしたほうがどんなに楽か。掲句は、大人として生きる難しさもどかしさを「上書き」という言葉を用いて川柳にしてみせてくれた。



嫌なとこ見ないと決めた埴輪の眼

峯島妙


この発見に驚いた。確かに埴輪の画像などをみると、眼の部分がぽっかり空洞になっている。それを「嫌なとこ見ないと決めた」とした感性が素晴らしい。埴輪は、弥生時代に作られ、埋葬者への捧げものと考えられているとか。掲句は埴輪そのものについて書いているようでいて、埴輪の眼に託した作者の現在地のようにも感じる。「埴輪の眼」の川柳、多分初めてだと思う。



偶然のように電車はすれ違う

伊藤良彦


一読、電車のすれ違う時の耳をつんざくような轟音が聞こえた。昔、「偶然は必然であり必然は偶然だ」と言われた。その時はよく解らなかったけれど(今でもよくわからないけれど)、そういう事もあるなと思うようになってきた。掲句の「偶然のように」の「ように」には、そのような意味合いを込めてのことだろう。電車も人もすれ違いながら通り過ぎていく。出会いも別れも、偶然であり必然なのだ。



雨の日の蜘蛛の巣どこまでも強気

菊池京


そう、台風の日も獲物が蜘蛛の巣にかかって暴れても破れない、細い細い蜘蛛の糸のどこにあんな強さがあるのかといつも思う。蜘蛛の巣は獲物を捕らえる罠であり、身を守る防御の役目もある。何度取り払われてもまた同じ場所にある蜘蛛の巣。蜘蛛にとって蜘蛛の巣は世界のすべてなのだ。だから雨の日だろうが、強気で守らなければならない。人間だってどんなにちっぽけなプライドだって守らなければいけないときがある。雨の日の「蜘蛛の糸」ではなく「蜘蛛の巣」としたところに着眼点の鋭さがあった。雨の日の雨粒をいっぱいくっつけた蜘蛛の巣はこよなく強かで美しい。



はがれない付箋がほしい戸田恵子

河野潤々


時節柄、「戸田恵子」と言ったらどうしても「アンパンマン」だろう。戸田恵子は声優であり役者でもある。その活躍は目覚ましく、どんなシチュエーションでも、安心して観て、聴いていられる。掲句の「はがれない付箋」の意味がよくわからなかった。一般的に、付箋ははがれやすく取り換えの効くものだが、そうではない唯一無二の存在としての位置づけを欲しているということだろうか。サザエさんの声優の加藤みどりは56年間サザエさんの声をやっていて、ギネスにも認定されているとのこと。それいけ!戸田恵子!!



澄み切ったこころに鮎のもどるまで

斉尾くにこ


掲句を「澄み切ったこころに/鮎のもどるまで」という風に「こころに」と「鮎の」ところでいったん切って読んだ。そして「こころに」のひらがな表記に胸を打たれた。清流にしか棲まない鮎の、なめらかに泳ぐ姿を思い浮かべて、いつしか失っていたその清流を撮り戻したいと言う切なる願い。願いが叶いますように。



ポケットはあればあるほどいい銀河

鈴木雀


ポケットと銀河の取り合わせに、童話の「星の銀貨」のようなストーリーを重ねながら読んだ。銀河の眩さは吸い込まれそうに蠱惑的だ。それなのに、なぜか言いようのない寂寥感を覚えた。「ポケットは」の「は」に隠されたニュアンスを感じてのことだ。「あればあるほどいい」のフレーズは、そうではない状況を指している。掬い取ろうとした星を零しては見上げる銀河。でも、そのまなざしは銀河に負けていない。



春だからって理由で二次会へ急ぐ

須藤しんのすけ


そうそう、「春」は立派な「理由」になる。何しろ二次会だもの。急がないと、あの娘の隣に座れないじゃないとかね(笑)。北国の春は短い。梅も椿も桜も一気に咲いて、お花見もあっという間に終わる。春は何かと気忙しい季節だ。その在りようが、「春だからって理由で」に込められているところが心憎い。「今」の切り取り方が上手い。句の仕立て方の屈折加減も絶妙で、楽しい一句。楽しい川柳を書くのはなかなか難しいのだ。


川柳アンジェリカロゴ
bottom of page