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会員作品を読む

​笹田かなえ

2025年5月

2025年5月1日


春なのに《降りる》のボタン買いに行く

須藤しんのすけ


「《降りる》のボタン」ってどんなボタンなんだと、突っ込みたくなるし、また突っ込まれるのを待っていそう。上五、中七、下五のずれ具合が絶妙で、読者は混乱しながら状景を組み立てるのに苦労するけれど、その過程が楽しい。ボタン売り場でとりどりのボタンを見ながら《降りる》のボタンを探しちゃいそう。


 

心まではほどけて無かったみたい

旅男


ほどけて無かったのは自分の心か相手の心か。「蟠る」の「蟠」という漢字は中国語で竜やうわばみに使われていて、日本語の「蛇」の語源 だそうだ。蛇がとぐろを巻いている姿はまさにネガティブな感情そのもの。解決済みと思っていても、そうではなかったと気付く場合は間々ある。自分の内心も含めて、人の心は複雑なのだ。


 

足が運ぶワタクシという液体 

西山奈津実


デカルトの「我思う、故に我あり」の、哲学的な思考が過るけれど、そこまで考えなくてももいいかとも思う。人間の体は、成人でほぼ60%が水分だという。そのデリケートな水分(液体)である「ワタクシ」のカタカナ表記に愛おしさが溢れている。「ワタクシ」を運んでくれる足にも感謝がある。あっけらかんとしながらも、とても大切なことを伝えてくれている。


 

遠くまでゆける名前を選んだの

温水ふみ


昔の愛読書に「放浪記」(古っ!)があった。掲句の「遠く」はどこまでを指すのだろう。此処では無いどこかへ、そしてさらに何処かへ。漂泊の歌人、西行の「ねがはくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃」を桜が咲くといつも思う。選択的夫婦別姓が認められたら、掲句のような理由に拠る人も出てくるかもしれない。


 

水琴窟が共通言語だった頃

飛和


本物の水琴窟の音を聴いたことがないので想像するしかないが、万葉の時代の相聞歌にある調べのようなものを思った。「共通言語」としたのは、私達が使っている「言葉」ではなくもっと根源的なものを指してのことではないだろうか。恋の始まりの頃は、お互いの意思疎通に必要なものは最小限度でよくて、そこには恨み言などなかったはずだ。「だった頃」の過去形がどうにも辛い。。


 

アルペジオ春のファスナーから暮色

藤田めぐみ


日本には春夏秋冬の四季があるが、やはり春への思い入れは格別だ。寒さや雪に縮こまっていた冬を乗り越えて、暖かな風と花が咲いての、春が巡る度心が躍る。「アルペジオ」と「春のファスナー」が上手いなあ。三寒四温を繰り返して、やっと春らしい春。半分開きかけたファスナーの向こうには、気怠い晩春の夕景色が見える。


 

マッチ棒の灯りの中の襟足よ

間瀬田紋章


「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司」。短詩型にマッチが出て来ると、どうしてもこの短歌が思い浮かぶ。掲句のマッチもまた煙草を吸う時に擦られたと思うが、いかにも意味ありげだ。そして、昭和。いつまでも襟足に見惚れていると、「火傷しますよ」と言ってあげたくなってくる。


 

春の音絡みついてる生パスタ

峯島妙


待ち望んだ春の到来。見るもの聞くものすべてが春。もちろん食べる物も。気心の知れた人たちとのランチのメニューに、生パスタは盛り上がりそう。生パスタ、柔らかくてモチモチした食感がいいね。カルボナーラやミートソースなどお好みでどうぞ。明るく賑やかな会話と美味しいお料理、ひと時の楽しさが伝わってくる。


 

アボカドと水平線と腕時計

伊藤良彦


形態の違う三つの取り合わせをポンと置かれた作品。不親切なほどなんの情報もないが、それぞれの存在を感じ取るだけでいいような気がする。アボカドのまったりした味わいと眼前に広がる水平線の伸びやかさ。そんなのんびりした時間に、腕時計に象徴される「時間」は忘れていいんだと言うささやかな抵抗心を、私は感じた。


 

B面の傷を飛ばせぬまま夜明け

菊池京


レコードに傷があると、何度も同じところを再生したり針が飛んでいきなり曲調が変わったりする。B面の傷だから、余り大っぴらにしたくない事かもしれない。でも、心にずっと残っていて何かの拍子にその傷が疼く夜がある…よね。松田聖子の「スイートメモリーズ」はB面だったそうだ。なつかしい痛みは勲章よ(笑)


 

雨だれに小指立てない手の所在

河野潤々


「『雨』だれ」に小指ときたら、失恋した男性を連想したけれど…ショパンの「雨だれ」の最初の一音は小指を立てて弾くと、ピアノを弾く友人から聞いた。小指を立てないでピアノを弾いている「手の所在」に、心ここに在らずのやるせなさを見てしまう。「雨だれ」と「小指」の関係性を上手く絡み合わせての仕立て方が面白かった。


 

東雲の工房 水の美術館

斉尾くにこ


なんとスケールの大きな川柳だろう。夜明け、東の空が白み始めて徐々に薄く明るい黄赤色に染まっていくところを「工房」と名付けて、自分に引き付けた。さらに「水」の変幻自在な在りようを美術館になぞらえて、これもまた自分に引き付けた。森羅万象この世のことは全部川柳になるのだ。この詩心に酔い痴れるばかり。


 

醤油皿ひらたく生まれ直す虫

鈴木雀


醬油皿に垂らしたお醤油のかたちを思い浮かべると、確かに虫に見えなくもない。最初は少しこんもりしたお醤油がスーッと平たくなる様を「ひらたく生まれ直す虫」と見立てた感性に驚く。何気なく見ていたものが思いがけない世界へ導いてくれることがあるが、掲句にそれを強く感じた。想像から創造への瞬間が鮮やかな一句。


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