せんりゅう、ごちそうさま
笹田かなえ
2026年8月1日
墨作二郎を偲ぶ会発表誌

墨作二郎さんがお亡くなりになったのは、2016年12月23日のことでした。
そして「偲ぶ会」が、2017年3月30日に堺市総合福祉会館で行われまし た。
主催は「現代川柳 点鐘の会」で、「偲ぶ会実行委員会」には南野勝彦氏、八木侑子氏、笠嶋恵美子氏、本田洋子氏の4名のお名前があります。
お亡くなりになってから、あまり日を置かずに開催された「偲ぶ会」とその発表誌の発行(2017年4月末日発行)は、とても早かったように思いました。全国の川柳人へ「墨作二郎」のことを届けたいという思いを、この冊子から感じたものでした。
発表誌の裏には、墨作二郎さんが句箋を持って披講をなさっているお写真と経歴が書かれています。
墨作二郎経歴
大正15年11月2日 堺市に生まれる
昭和9年 詩人安西冬衛氏と出会う
昭和14年 俳人 大野水峰氏に師事
昭和21年 河野春三に導かれ川柳へ
以後定年に至るまで北海道・東京・名古屋・四国へと転勤が続く
昭和63年 現代川柳点鐘の会 設立
平成8年3月 点鐘散歩会発足。月一度
平成29年 第246回で散歩会は終了。
平成28年12月23日 永眠
句集には 「凍原の墓標」「アルレキンの脇腹」「尾張一宮在」「遊行」「蝉の木」「河童伝説」「伎楽面」「籠灯鬼」「伐折羅」」など。
偲ぶ会には全国から127名の参加があったとのこと。
会では、森中惠美子さん、小池正博さん、本田洋子さんがそれぞれに作二郎さんに纏わるお話を語っておられました。
森中惠美子さんは、作二郎さんとの思い出話と共に、作二郎さんの作品もいくつか紹介なさっています。
鶴を折るひとりひとりを処刑する
臨終の夜の夜まで米を研ぐ
作二郎
作二郎さんと惠美子さんだけのエピソードはしみじみとして、温かいものがありました。
小池正博さんは「墨作二郎の軌跡」と題して、作二郎さんの川柳活動についてお話なさっています。
作二郎さんは、最初俳句を書いていらしたということと、川柳への現代詩の影響があったということです。
小池さんのお話を少しだけ引用させていただきます。
(略)川柳というジャンルの内部からの自発的発展ということはなかなか起こりにくく、他ジャンルの影響や刺激を受けて川柳が新たな展開を見せることがあります。川柳というジャンルのなかで詩を書くということになるわけで、詩性というのは常に川柳革新の契機でありました(略)。
現代詩への志向が見られる「長律の時代」の作品です。
小池さんが紹介されているうちの二句を書かせていただきます。
新鮮なる鍋底がかぶさつてゐるとしたら。砂上の焚火を囲んでゐる天使の群の憂鬱
作二郎
雨の中に壁がある。スキャンダルのすばらしい断層なのだろうか
作二郎
そのほかにも作二郎作品の紹介をしてくださっています。
能面の起き上がるとき地の痛み
ばざあるの らくがきの汽車北を指す
蝶沈む 葱畠には私小説
かくれんぼ 誰も探しに来てくれぬ
四月馬鹿 シルクロードを妊りぬ
あきらかに飢餓 水色の相聞歌
作二郎
平成7年の阪神淡路大震災の震災句です。
春を待つ鬼を瓦礫に探さねば
作二郎
作二郎さんの軌跡をとても細やかに描いていています。
小池さんの博識と見識の広さに感銘を受けた次第です。
本田洋子さんは、墨作二郎さんの遺句集「韋駄天」について語っていました。
「点鐘」と「点鐘雑唱」が発行できなくなった経緯と、「韋駄天」を刊行するまでのご苦労がしのばれるお話でした。
墨作二郎がいたから存在した「点鐘散歩会」と「点鐘勉強会」。その終わりを告げられている本田さんのお言葉は、胸に迫るものがありました。
句会の作品です。
秀句とその前の二句、そして軸吟を書きます。
兼題「遊」 筒井祥文 選
大きい小さいに分ける遊びをする男
樋口由紀子
遊んでいるうちに遠くへ来てしまう
中川隆充
秀句
お呼びするまで遊んでいて下さい
小谷小雪
軸吟
美人局かもしれないと思いつつ
筒井祥文
兼題「行」 桑原伸吉 選
春帽子行方知らずになるままに
岡田俊介
行きましょうこの世にしがみつきながら
徳永 政二
秀句
知らんぷりしとく 行間なのだから
たむらあきこ
軸吟
行雲流水 お好み焼きを裏返す
桑原伸吉
兼題「点」 笠嶋恵美子 選
点を打ちまた点を打ち滝になる
徳永政二
一万匹の亀一斉に海へ散る
くんじろう
秀句
一人称で語り始める画鋲跡
こうだひでお
軸吟
目が点になるまでみつめ合う そして
笠嶋恵美子
兼題「鐘」 徳永政二 選
おとうさん聞いていますか おとうさん
中岡千代美
鐘の音が鐘を放れていきました
石田 都
秀句
アネモネをゆらすと赤い鐘の音
岡田俊介
軸吟
ひとりではないとひとりの鐘鳴らす
徳永政二
22ページの薄い冊子ですが、本当に濃い内容で、何度読んでも飽きません。
遠い遠い昔のお話です。
友達と高校時代の恩師とでお酒を飲む機会がありました。
夜も更けて、何の弾みかその恩師の下宿に行くことになりました。下宿に着くと、恩師は押し入れから何かをごそごそ大事そうに出してきました。それはそのころ貴重品だったジョニ黒の酒瓶でした。恩師はそれを愛おしそうに湯呑に入れて、私と友達の前に置いてくれました。恩師は目を細めて嬉しそうに飲んでいたのが、今でも目に浮かびます。
一度だけ墨作二郎さんにお会いしたことがあります。一見、強面ですが、笑顔で優しくお話をしてくださったのを思い出しています。
作二郎さんの笑顔に、初めて飲んだジョニ黒のいがっらぽくて苦い味とが重なって、喉の奥に蘇ります。
せんりゅう、ごちそうさまでした。

