せんりゅう、ごちそうさま
笹田かなえ
2024年7月1日
ねじまき第10号
「ねじまき句会」代表のなかはられいこさんとは、
私が最初の句集「水になる」(1994年刊)を出したころからのお付き合いで、
ひらがなの「ともだち」です。
2024年1月発行のねじまき10号を読みました。
いつもながら、会員の皆様の個性的で上質な川柳にゆらゆら漂いながら、
楽しいひとときを過ごさせていただきました。ありがとうございました。
次にそれぞれの一句ずつに、私の感じたことを書かせていただきました。
妄想癖のある私の、野生のカンで感じたことですので、
違うって思われるかもしれませんが、ご寛恕ください。
いいよって言えないパン粉足りなくて
なかはられいこ
普段はあまりこだわりはない方だけど、たかがパン粉されどパン粉。
どうしても妥協できないものはあるのです。
「パン粉」の「パ」の破裂音が小気味いい。
電線をたるませている四月馬鹿
中川喜代子
春の空の下の電線が、たるんで見えるのは4月1日のせいだったのですね。妙に納得。
でも「電線」が、のんびり感の中にも世情の不安定さを語っているようにも見えました。
処暑せぼねの中で報知機がなる
犬山高木
去年の夏の殺人的な暑さを思い出しました。
「処暑」でも一向に収まることなく、参りましたね。
「せぼねの中で報知機がなる」の実感は、とてつもなく説得力がありました。
ゆっくりしていって塹壕の花びら
安藤なみ
「塹壕」に胸が痛い。
まだ血なまぐさいような戦場跡に、花びらが柔らかな風に乗ってきた情景が目に浮かびます。
それはまた、その地で果てた兵士かもしれないと想像しました。
根菜の顔で云うから信じます
米山明日歌
「根菜」に説得力がありすぎます。
昔、吉永小百合さんがじゃがいもみたいな顔の人が好きって言ったとか言わないとか。
「根菜」のチカラ恐るべし。
ゆっくりと歩いてつかむひつじ雲
三好光明
共感度、大。ひつじ雲の空ののどかさにほれぼれ。
心も体もゆるやかに遊ばせて、
暫しやすらぎのひとときを楽しんでいる様子が伝わってきました。
ひとつしかない出口にもいない猫
青砥和子
ものすごく不安にさせられる一句。猫はどこにいったのでしょう?
ひとつしかない出口の建物というのも意味ありげ。
「ない」のリフレインも効果的で、異世界を垣間見た感じでした。
うたた寝から醒めるとろけるイカ群れる
竹尾佳代子
うたた寝感が出ています。
「醒める」とありますが醒めきっていない状態にも思われます。
その体感を「とろけるイカ群れる」とは。官能的でもあります。
私にはナガスクジラが必要だ
妹尾 凜
「必要だ」の断言に切羽詰まった感を読みました。
何かに立ち向かう時に武器や支えとなるものとしての「ナガスクジラ」は、
すごい発見だと思いました。
薄荷スプレー幽かに匂ふさようなら
岡谷 樹
「幽か(かすか)」と読むことに戸惑ったのは、
現代的な「薄荷スプレー」との取り合わせに、一瞬ついて行けなかっただけで、
あの清涼感は確かに「さようなら」ですね。
ちさき手のひたすら金の泥だんご
早川柚香
泥だんごを金色にするまで、どれだけ撫でまわしたことでしょう。
泥だんご作りが好きな小さいひとへの愛おしさがあふれんばかり。
将来は土木技術者かなとも想像しました。
「大丈夫」裸電球ぽーと点く
黒川利一
「ぽー」の長音がすべてを語っています。
裸電球の点灯時の色合いやそれを見ている作中主体の心境が、
昭和の人間の私にとてもよく伝わってきました。
土の辺りから渇き出す黄土色
猫田千恵子
「黄土色」には「かわいて」しまった土の色を思いました。
「乾く」ではなく「渇き出す」の表記も印象的で、
乾く前の土の色と黄土色が入れ替わる感じで面白かったです。
ゆうれいと言って水気ののこる声
八上桐子
これはもう「ゆうれい」の再発見みたいにして読みました。
ゆうれいのうすぼんやりした感じは、確かに水気が感じられます。
ちょっと怖いような余韻がたまりませんでした。
木の一部始終が水であったこと
瀧村小奈生
つくづく「木」の人だと思いました。
木の体温、木の葉のざわめき、呼吸音、幹の手触りなどが
ぶわーっと一気に押し寄せてきました。
一部始終の物語が見えました。
「ねじまき」10号には、夕暮れの路地裏から漂ってくる、醤油味の煮物の匂いがしていました。
なつかしくてあたたかい、そして飽きのこない味わいのある匂いでした。
ごちそうさまでした。
月刊★ねじまき