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会員作品を読む

​笹田かなえ

2026年9月

2026年9月1日


夏ヒカルぶちまけられた打ち水に

峯島妙


「夏ヒカル」が眩しい。特に「ヒカル」のカタカナ表記は、打ち水の撒かれた際の水の表情を捉えていると思った。この夏、名古屋へ行った知人は、名古屋の暑さに呼吸が苦しくなるほどだったと言っていた。打ち水はせめてもの暑さへ抵抗だが、それでも収まらない熱気。「ぶちまけられた」の言葉の強さが、行き場のない暑さへの怒りとなっている。それでも「夏ヒカル」の措辞に一瞬の涼を感じたのだった。



額縁に今日のカレーを閉じ込めて

伊藤良彦


カレーは、明治時代に日本に伝わったという。直接インドからではなく、イギリス経由というのが歴史的背景を考えると興味深い。今では、国民食の一つとなっているカレーで、専門店ではそれぞれに味に工夫があって驚かされることがある。掲句もそんな記念すべき絶品カレーに出会ったのかもしれない。カレーが食べたくなる、飯テロな一句。



鉤裂きの夜を手洗いして眠る

菊池京


「鉤裂きの夜」が何とも痛々しい。体も心もこれ以上ないほど傷ついている状態を想像した。そんなギザギザになった傷跡を、丁寧に手洗いして眠るという掲句の現在地に掛ける言葉もない。それでも自分への労り方を知っているらしいのは救いだ。「鉤裂きの夜」と「手洗いして眠る」のつながりがリアルで、物語を読むようだった。



花空木行きも帰りも一両車

斉尾くにこ


いつのことだったか。好きな人に逢いに行く小さな旅をしたことがある。ローカル線の小さな電車に乗って行った。沿線には林檎の木があって、林檎の花が満開だった。好きな人とは逢えたが、あまり話は弾まないままに夕方には、また同じ小さなローカル線に乗って帰るしかなかった日。「花空木」という華やかでありながら、どこか空虚感のある語句が絶妙。すべての語句に無駄がなく、つながりもなめらかで、その余韻と詩情あふれる作品世界に強く心惹かれた。



鳥笛を吹く猫たちを引き連れて

鈴木雀


鳥笛というと、鳥を呼び寄せる笛のことだと思うが、掲句では猫たちを引き連れてそれを吹くと言っている。え、え、え、えっ!猫がいるところに鳥を引き寄せたら大惨事になるのではないかと、余計な心配をしながら読んだ。

この夏、ネットで「ネコ外来種指定」の法案が大きな問題になった。幸い全国の動物愛護団体などからの抗議によって、その法案は撤回となり安心したのだった。掲句の鳥笛、鳥と言うよりその法案に反対の人間を呼び寄せるものだったのかもしれない。



ルージュひく抱かれた夜の失くし方

須藤しんのすけ


「紅」は「塗る」、「ルージュ」は「引く」と教えてもらったことがある。恋句や性愛句にルージュは効果的な小道具として登場することが多い。掲句のルージュは、充実した恋のカタチでなく、終わった恋のカタチを描いている。ルージュを「抱かれた夜」を懐かしく思い出してひくのではなく、終わった恋を自分の納得いくカタチで終わらせるために「ひく」。「ひく」の語句と「失くし方」はイメージとしてつながる。それは屈折した心理をも表現していて、そこに掲句の巧みさを見た。



トレイルでふむふむ思慕のギザギザ

旅男


トレイルは「道」の意味がある。もっと詳しく言えば、自然の中の未舗装の道や小径で、人間が歩いて作られた道だ。そんなトレイルで「ふむふむ」とは、「道を踏む」の意味と自問自答しながら納得している状態の両方を表していると思った。トレイルで「ふむふむ」のが「思慕のギザギザ」というのが、どこかほのぼのとしている。「ふむふむ」と「ギザギザ」の対比がいかにもトレイルらしくて「思慕」の胸中を感じさせられた。



形状記憶で空は生きているのよ

西山奈津実


「形状記憶」と言えば、アイロンを掛けなくてもいいワイシャツやブラウスなどが浮かぶが、その特性を「空」に見たのが凄い!そして、もっとすごいのが「空は生きているのよ」の措辞。よく亡くなった人を「お空に行った」と言ったりするけれど、空そのものを「生きている」と表現した川柳を見たことがない。落ちこんだ時に空を見上げると心が持ち直したりするのは、空のそんな力によるものだと気づかされた一句。



等分にできたらこんなに泣かない

羽風ふみ


「等分」という言葉の重さに胸を打たれた。ケーキやキャンディなどを分けるときみたいに、目に見えるものの等分なら何となく納得できる。でも、目に見えない、愛情や格差やあるいは命などがそこに示されると、どうしようもないのだ。中七から下五にかけて句またがりにした、「できたらこんなに泣かない」の十二音の不安定さが、絶望の深さを際立出せていた。



フィナンシェを口癖にして生き延びる

飛和


バターケーキの一種のフィナンシェは、焦がしバターとアーモンドの香ばしさで人気の焼き菓子だ。私的には、初めてのケーキ屋さんではまずフィナンシェを買うといった、お寿司屋さんの玉子焼きみたいな存在でもある。「フィナンシェ」の響きに「ファイナル」や「フィニッシュ」「フィナーレ」と言った「フ」のつく終わりを意味する言葉を連想した。だが「生き延びる」とした下五は、何かを乗り越えようとする強靭な意思の発露を感じて、句がいっそう強くなった。



水漏れが止まない熟れてゆく不実

藤田めぐみ


「私ってなんだろ水が洩れている 加藤久子」の有名な川柳を思い出した。アンジェリカの「オフビートなら川柳で」(2014年12月27日配信)でも取り上げている。掲句は、「止まない水漏れ」から「熟れていく不実」へと繋げて緊張感と不安を掻き立ててくる。この場合の「不実」は自分に対してかあるいは他者へのそれなのかも疑問だ。それでも惹きつけられるのは、止めようとすればできるはずの水漏れをそのままにしていて、そこから熟れるままにしている不実を楽しんでいる雰囲気が感じられるからだ。答えの出ない不可解さに悪意さえにじませながらも、人間の真実を追求しようとしている姿勢に深い敬意を表する。

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