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会員作品を読む

​笹田かなえ

2026年8月

2026年8月1日

ハレーション未だ酸っぱいあたしたち

藤田めぐみ


「未だ酸っぱいあたしたち」にドキッとした。「未だ酸っぱい」の言葉をそのまま捉えると、未熟で若い時代を言っているように思える。でも掲句の「未だ」はそれなりの時の積み重ねがあっての「未だ」にも読める。そんな二人の関係が興味深い。ハレーションを起こすほどぶつかりあって、仲直りしてを繰り返していそうだ。それにしても「酸っぱい」のインパクトの強さ。ツンとした酸っぱさがしばらく鼻腔から離れなかった。



恋なんて取るに足らない小石だし

峯島妙


そういいながらも、靴に入った小石やご飯に混じっている小石はすごく気になるもの。「取るに足らない小石」の存在って意外に大きかったりする。掲句、何度目の恋だろうね。素敵な恋や碌でもない恋をたくさん経験しての「恋なんて」とか「小石だし」になったのだと想像する。現役の恋から遠ざかった身だが(笑)「恋」は川柳を書く際に大きな原動力になることがある。恋心、お大事に!



木曜の終わりのような鯵フライ

伊藤良彦


ここで鰺フライ!木曜との取り合わせの川柳はいろいろ見てきたが、鰺フライとの取り合わせは初めてかも。同じフライ系でも、トンカツやエビフライに比べるといささか地味だが、庶民的で栄養も遜色ない鰺フライ。木曜日は金曜日の前日で、あと一日頑張ればお休みという谷底みたいな日でもある。それが鰺フライなんて、意表のつき方が面白すぎ。でも納得できる。大阪のくんじろうさんは、鰺フライが好物らしい。いつか大阪の居酒屋でご一緒した時に、揚げたての鰺フライを美味しそうに食べていたっけ。



正の字にひとつ足りない夕間暮れ

菊池京


5画で構成される「正」の字は数を記録するのに便利だ。だから、最初読んだ時は何かの数を数えていて「ひとつ足りない」と気が付いたのではないかと思った。でも、掲句は「正」に対して真正面から向き合っていた。「正義」「正直」「正解」と、「正」の字の意味のまっとうなありように、「ひとつ足りない」と気が付いたのだ。「夕間暮れ」という一日の終わりに近い時間帯は、人生に一区切りついた頃を思わせる。「正」の字に足りない「ひとつ」が何だったのか。これからそれを足していくのか。とても考えさせられたのだった。



菖蒲に文目夜はことさら杜若

斉尾くにこ


その凛としたたたずまいの似ている花を取り上げて、語感も滑らかに仕立てている。菖蒲は菖蒲湯の芳香に鼻をくすぐられた。文目の漢字表記は、花弁に網目模様があることからきている説がある。「郭公鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな(古今和歌集)」を思い出す。注目したのは、中七の「夜はことさら」。清少納言の「枕草子」にありそうな書き方だ。杜若はやはり「唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」を連想して、夜に相応しい余韻を感じたのだった。ゆったりとした大人の情緒があってとても楽しめた。



お別れを仕舞っておける奥二重

鈴木雀


「奥二重」という瞼のかたちを気にする人もいるだろうから、ルッキズムを思うと触れてはいけないかもしれないが、掲句に、博多人形などの日本人形の顔が浮かんだ。すっと切れ長の目元がいかにも涼し気だが、それを「お別れを仕舞っておける」とした独自の観点が新鮮だった。この場合の奥二重は、伏し目がちではなくまっすぐ前を向いている。優しくてでも少し寂しい、そんなまなざしを想像した。仕舞っておいたお別れは、いつか違う景色を見るきっかけになるだろう。



わかるけど針千本は多すぎる

須藤しんのすけ


この「針千本」は、あの「指切りげんまん、うそついたら針千本飲ます」だよね。子供の頃にこう言いながら約束をしたことはあったけれど、大人になってからはちょっと覚えがない。掲句に、恋人同士の他愛ないじゃれ合いのシーンが浮かんだ。約束を守りそうにない男の、心の声というかつぶやきが何とも小心っぽくてユーモラス。針千本と閻魔さまに舌を抜かれるのとどっちがいい?覚悟していてね。



人口を抑えたい、成程スイス

旅男


スイスと言えば「永世中立国」とか「アルプスの少女ハイジ」などのイメージから、戦争に縁のない平和な国だと思いがちだが、その歴史はやはり過酷だ。国民皆兵制度と徴兵制で強力な軍隊もある。スイスの人口は1000万人には達していないが、人口の増加を抑える動きもあるという。人口の増加は移民によるものだ。移民問題は日本も無関心ではいられない。スイスは国民投票で人口の増加を抑える法案の設立を否決した。日本に国民投票で法案の是非を問う時がくるのだろうか…



一度っきり重ねて僕をはじめた

西山奈津実


人生は、多分「一度っきり」の連続なんだとこの句を読んで真っ先に思った。だから「僕」が「僕」を生きるためにいろんな「一度っきり」を経験するんだろうな。心のどこかでいつも感じていた、生きていくことの不自由さは、その都度の「一度っきり」のせいだったのかもしれない。生きていくうえでとても大切なことを含んでいるような掲句だが、ざっくりした口語体にすんなり読むことができた。



冠になるため生まれたニワトリ

羽風ふみ


昔、ひよこからニワトリを育てたことがある。おんどりとめんどりは鶏冠の形が違うが、ひよこから中雛になる時の形はどちらもとても愛らしかったものだ。「鶏冠」と書いて「とさか」。「鶏冠」はニワトリのシンボルでもある。「牛後となるより鶏口となれ」ということわざがある。高いところに上がって時を告げるニワトリの立ち姿はその赤い鶏冠のせいもあって凛々しい。何のために生まれたかは、永遠の命題として常に意識下にある。ニワトリの存在価値を「冠」になるためと見出したことは、大きな一歩だ。



鏡からそっと取り出す珊瑚礁

飛和


幻想的でありながら、その光景がくっきりと浮かぶ。曇りひとつない鏡にそっと手を差し入れて、取り出す珊瑚礁は、濡れ濡れと息づいているように思える。「鏡」と「珊瑚礁」」の漢字表記の硬質感が、その存在を唯一無二のものとして読む側に訴えてくる。どこか不安定でありながらも、物語の始まりのような未知数の魅力があった。

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