会員作品を読む
笹田かなえ
2026年1月
2026年1月1日
雑の字に紛れてあと少しピエロ
菊池京
掲句、読むほどに切なくなるのは何故だろう。「雑」と言えば「雑駁」「雑念」「雑巾」などと言った言葉が思い浮かぶ。どれもあまり良いイメージではない。そんなイメージの「雑」の字だがそこに紛れるという行為には、自虐的な心理が込められているように見えるのだ。「あと少しピエロ」とおどけて今をやり過ごそうとする息苦しさがどうにもやるせない。しかし、「雑用」「雑貨」などの「雑」の字に託しながらも、そこにはすっくと背筋を伸ばした立ち居振る舞いが見える。
目配せは冷やして食べるのだ諸君
河野潤々
「目配せ」とは、相手に合図を送るために目で何かを伝える行為を言う。言葉ではなく目で伝えるという事は、複数の人がそこにいてある特定の人だけに合図を送るという状況なのだろう。うーん、これはなかなかシビアではないか。伝えたい人だけに伝わればいいけれど、そうでない人にも悟られることもあるわけで。そうなると気まずい雰囲気になるのは必須。そこで大人の対応としての「冷やして食べるのだ」となる。ちょっとしたトゲも含んだこの句の、芸のある所作に唸った。「諸君」がピタリと収まった。
消えてゆく日焼け消してゆく面影
斉尾くにこ
「消えてゆく」と「消してゆく」の言葉の使い方が絶妙。例えば「日焼け」を若かった日の名残りと読むとする。日焼けは時と共に自然に消滅していく。ただ、その日焼けに重なる人がいるとしたら…。「面影」を心に残しておかないことにした事情はそれぞれだとしても、言いようのない淋しさが滲む。自動詞の「消えてゆく」と他動詞の「消してゆく」を巧みに使い分けて、余韻のある句になった。
哲学は龍の鱗が落ちてくる
鈴木雀
「龍の鱗」のフレーズに立ち止まった。何かのゲームのアイテムかもしれないが、そちら方面には疎いので見当もつかない。けれど、「哲学」との取り合わせが妙にマッチしている。「哲学」をネットで調べたら「知を愛する冒険の始まり」と言うのがあった。「当たり前を疑い、根本から問い直す姿勢」が哲学の核となる精神だそうだ。厚かましさを承知で言わせてもらえ ば、この精神は川柳を書く姿勢に通じるものがある。「龍の鱗」は81枚あるという。多分、なかなか手に入らないものなのだろう。そんな「龍の鱗」が落ちて来る瞬間を想像すると、ワクワクしてくる。
口角をあげた夕陽の作り方
須藤しんのすけ
夕陽は、川柳の句材として多く登場する。人生の終盤の比喩として用いられることもある。「花はどこへ行った夕日のイリューシン 柏野遊花」。口角をあげると笑顔に見える。笑顔で過ごせる日々は心身に良い。しかし、そう簡単に笑顔で過ごせるわけではない。やはり笑顔 を意識して過ごすことだ。掲句の「夕陽の作り方」はどうすればいいかを模索しているのが窺える。「作り方」、わかったら教えてね。
捨てたからひとつ拾えるごろた石
旅男
「ごろた石」かぁ。ただいま断捨離真っ最中の私は、まさに掲句のような状態。本や洋服を手放して空いたと思った場所にまた、本や洋服を増やしてしまっている。どうしようもないね。だから「捨てたから」と言い訳め
いた言葉を吐きながら、これからも捨てた り拾ったりするんだろうなと、共感しきりである。「ごろた石」は道端に落ちている石ころだそうだ。ごろた石にもごろた石なりの役割もあるのだ。捨てては拾うごろた石、人生はそんな繰り返し。
あいまい捨てたらくちびるが破裂
西山奈津実
「くちびるが破裂」とは、ただ事ではない。その理由が「あいまい捨てたら」とあるのもよく解らなかった。「くちびる破裂音」という言葉がある。上下の唇で閉じた後に急に開放することで生じる音だ。「パピプペポ」のパ行や「バビブベボ」のバ行の言葉が多い。それで納得。捨 てるかどうかをつい迷ってしまう「あいまい」な存在を「パッパッパッ」と捨てる。爽快だ。「パッパッパッ」と声にしたらもっと爽快。うん、確かにくちびるが破裂(笑)。そんな日常のささやかな一コマを川柳にすると、こんなにも面白い。
生きて前歯の青のりを見せ合おう
温水ふみ
「たてがみを失ってからまた逢おう 小池正博」の句を思い出した。「生きて」の措辞は重い。「見せ合おう」だから、まだ見せ合っていないかもしれない。でも、この約束のような措辞の何と心強いことか。「生きて」にも何か事情も ありそうだ。それでもいつか、青のりのついた食べ物を一緒に食べて、お互い顔を見合わせた時に前歯についた青のりの滑稽さに笑い合う姿を想像すると、微笑ましくも涙ぐんでしまいそうだ。「前歯の青のり」がリアルで秀逸。チャップリンのチョビ髭を彷彿とさせる。
バラ星雲 ないものねだりでもいいの
飛和
ハッブル宇宙望遠鏡で撮影されたという「バラ星雲」の画像を初めて見た時、その赤みを帯びた星雲の妖艶な天体に魅了された。「ないものねだり」大いに結構。ネット情報によるとバラ星雲と地球の距離は5,500光年とも言われている。そんな遠い遠い宇宙の彼方のバラ星雲を「ないものねだり」の象徴として捉える心境は、寂しいながらも晴れ晴れとしているように見える。漆黒の宇宙に眩くも妖しげに存在するバラ星雲は心象風景として鮮やかな印象を残す。それは「ないものねだり」だからこその鮮やかさでもある。
頷けばよかった夜明けに消える星
藤田めぐみ
「夜明けに消える星」をどう読めばいいか迷った。例えば、今まさに命が消えようとしている人の願い事を聞いてあげたいのに聞けなかったという、切羽詰まった状況なのか。あるいは、気心の知れた男友達との楽しい時間が濃密な恋に変わりそうなのを、迷いながらもお断わりすると言うシチュエーションか。星は夜しか見えない。夜空だからこそ美しく輝くものだ。でも「夜明けに消える星」は別れでもある、が夜明けへのステップでもある。頷けなかった事を恨めしく思いながらも、そうできなかったから今があるのも、また真実。
三コマで終わってしまう夢の先
峯島妙
四コマ漫画の面白さは、最後のコマでオチがついているところにあるが、三コマで終わった夢には、それがなかっ たようだ。起承転結は文章や物語を構成する場合の基本でもある。「起」は「導入」「承」は「展開」「転」は「転換」「結」は「結び」と、流れを作り収まるところに収まる。どんな夢だったかは想像するしかないが、「夢の先」である四コマ目は、好きなように自由に見る権利があるのだ。
孤独死は怖いし蕎麦は伸びてるし
伊藤良彦
トホホ感のここに極まれりが満載で、川柳らしい川柳(褒めています)。「孤独死」という切実な問題を、伸びた蕎麦と取り合わせたところがユーモラスでもあり、機知に富んでいる。そもそも蕎麦は「挽きたて、打ちたて、ゆでたて」の三立てが美味しいとされている。それなのに、伸びるまで放っておかれたなんて、蕎麦が可哀そう。悩むのは、蕎麦を食べてからにしようね。



