会員作品を読む
笹田かなえ
2024年12月
2024年12月1日
牛乳の膜に映った蛍光灯
伊藤良彦
牛乳の膜は句材としてたまに見る。しかしそこに映った蛍光灯は見たことがない。寝る前のホットミルクは睡眠を促す効果があると言うが、どうもあまり効果は無いらしい。牛乳の膜も蛍光灯もうっすら白い。その白さは言いようのない心もとなさにも通じるものがある。さりげない日常の一コマだが、非日常的な時の流れを感じた。
どこまでが強さ深夜のセルフレジ
菊池京
理不尽とか無理難題とか傍若無人とか…もう、いい加減にしてと心の中で叫びながら、ヘトヘトの体に鞭打って黙々と深夜営業のスーパーで買い物。セルフレジでピッピッと清算。「深夜のセルフレジ」に無機的で底なしの孤独感がある。ピッピッピ…どうする私、どうしようもない、でも、と自問自答しながら。よーし、終った!今日が終わった!頑張った私!お疲れ様!
剥がせない付箋アンダースローぁざす
河野潤々
「ぁざす」って(笑)。こういう言葉もいいの?川柳。という声が聞こえてきそう。ネットのスラングで「ありがとうございます」を短く縮めたものらしい。アンダースローのピッチャーと言えばダルビッシュが有名だけど・・・。まあ、人生は色々あるからね。「凩やあとで芽を吹け川柳 柄井川柳」。つくづく川柳は懐が深い。
塩の華もろさは増してゆくばかり
斉尾くにこ
「塩の華」は奥能登の冬の風物詩の一つ。寒風に吹き寄せられた塩の泡が花のようにふわふわと舞っているところから「波の花」とも呼ばれている。塩は生命の象徴だ。「もろさは増してゆくばかり」と年齢を重ねた心と体の弱りを儚んでいるかのようだが、今までの来し方から学んだ事は=「塩の華」は大きな力となるに違いない。
半神のように半分腰掛ける
鈴木雀
「半神」とは神と人間の間に生まれた存在だそうだ。神のように永遠の命があるのではないが、常人よりも優れた能力を持つと言う。ギリシャ神話のヘラクレスもその一人だ。人間でも神でもない、あやふやな立ち位置の生きにくさは、まさに「半分腰掛ける」の不安定さなのだろう。「半神」と「半分」の絶妙な距離感がいい。鋭い感受性の脆さと強さが同居しているところに惹かれた。
リンドウのズルさをモザイクに嵌める
須藤しんのすけ
「リンドウ」を花として読むね。漢字では「竜胆」とも表記する。花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」とある。薬草でもある。このどこが「ズルさ」なのか。そしてどんなモザイクなのだと謎は尽きない。モザイク処理のモヤモヤしているリンドウ、あるいはモザイク模様の一片となったリンドウを想像しながら、ずっとモヤモヤしている。リンドウ、好きな花なのに。
濁ってたっていいでしょ(フツー)は歪
西山奈津実
「夏よ!(曖昧さを回避していない) 瀧村小奈生」の句がある。()書きはその前にある言葉を補足して意味をさらに深めるためにあると思う。掲句の場合は「濁ってたっていいでしょ」が(フツー)であると言いながら、それを否定するように「歪」としている。「歪」に静かな怒気を感じて、なかなか一筋縄ではいかない現代社会の縮図を描いているようにも見えた。
月のよう真水のようあなたは女王
温水ふみ
白雪姫に出て来る怖いお妃が鏡を見て言った「かがみよかがみこの世で一番美しいのはだあれ?」のシーンが浮かんだ。夜のガラス窓に映る自分の姿に向かって、まるで暗示をかけているようだ。「月のよう」「真水のよう」とどちらも静かで冷たく澄んでいる。その抒情性を断ち切るような「あなたは女王」に思わず刮目した。
怖がりな私のための冬の靴
飛和
北国の住人なので冬の靴の重要性は十分に認識している。掲句の「怖がりな私」と言われて、ますますその感を強くした。この場合の「冬の靴」は単に身を守るだけのものではない。身も心も守る大事なアイテムなのだ。「冬の靴」というシンプルな言葉が、詩的で想像力を掻き立てていることに素直に感動した。
返信のない一日チャリの錆落とす
間瀬田紋章
誰からの返信なんだろう。ちょっと気になっている人へのコンサートへのお誘いとか、借金の申し込みとか(失礼)でもきっとすごく大切な「返信」なんだろうね。「チャリの錆落とす」が上手いなあ。チャリの錆を落としながら、自分の錆びついた考え方を変えようとしているようにも見える。私は鍋やシンクを重曹で磨くのがそんな時間の過ごし方。
この人と生きてゆくファイナルアンサー
峯島妙
「ファイナルアンサー」!人生は決断の連続だ。かぼちゃにするかじゃがいもにするか、ルージュはレッドかピンクか。その時々の気分によって選ぶものは違う。性格の悪い金持ちの男か、お金はないけれど優しい男か。「この人」と決めた時の高揚感が伝わってくる。好き連れは泣き連れ。でも、やり直しは何度でもできるよ(笑)
癪々々、歯をたてて水を飲む
旅男
「癪々々(しゃくしゃくしゃく)」。歯ごたえのいいものを咀嚼している音がいかにも心地よさげだが、「癪」の字が曲者。ましてや「歯をたてて水を飲む」。何処産のどんな硬水なんだと突っ込みたくなる。政治家の不始末やら煮え切らない某総理の態度等々。腹に据えかねることばかりで、水を飲む時さえ歯を立て腹を立てている。
恋じゃない椅子が濡れてはいないから
藤田めぐみ
約束の日は雨。窓際の席に座りながら待っていた。雨粒が窓ガラスを伝い、流れていくさまはまるで物語のよう。ずいぶん時間が経ったが、まだ来る気配はない。以前なら、待つ時間がどれほど長くてもずっとドキドキしたものだが、今はガラスの雨粒を見ている方が楽しい。もう待たないと決めて立ち上がると、雨なのにカランと椅子の乾いた音がした。
そしてとうとうふゆがこなくなりました、とさ
四ツ屋いずみ
冬と言えば思い出す、高村光太郎の詩、「冬が来た」。
冬が来た きつぱりと冬が来た 八つ手の白い花も消え 公孫樹(いてふ)の木も箒(ほうき)になった…
地球温暖化による気候変動で、この詩のような景色はもう見られなくなるというのか。全部ひらがな表記の掲句は、まるで絵本を読み聞かせるようなあどけなさがあるが、それ故にじわりと怖い。